まさか佐賀にタイムマシンがあったなんて驚きを隠せない四十三日目。
中学校の時に習った弥生時代の遺跡がある吉野ヶ里歴史公園を訪れました。
佐賀県にはなにもない…そんな悲しい噂を断ち切るために私は立ち上がりました。
佐賀の良い所を探しにおさんぽです。
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邪馬台国かもしれない 吉野ヶ里遺跡

朝から博多を出発して、鳥栖を経由して吉野ヶ里公園駅へとやってまいりました。
とりあえず鳥栖は駅から眺めただけでは特になにもありませんでした。すみません。
佐賀県は平野しかないと聞いていたのですが、確かに坂が全然ないです。
奥の山まで見渡せるのは他の県にはないところではないでしょうか。
本日の目的地、吉野ヶ里歴史公園へと到着です。
平成元年に邪馬台国の出現かと騒がれた吉野ヶ里遺跡ですが、形は邪馬台国にそっくりなんだそうですが本物という証明がなく真相は謎のままです。
公園は入場料420円でとにかく広い敷地を散歩できて体験型アトラクションもあって博物館も見れて荷物も無料で預かってくれる、これはお買い得です。
公園の中へと足を踏み入れるとそこにはマンモスでも出てくるんではないかと想像してしまうような草原が待ち受けています。
入口には鳥が飾られている鳥居が建っているのですが、これが神社の鳥居の原型ではないかと言われております。
鳥居の周りにはトラップが仕掛けられていました。
これは逆茂木と呼ばれるもので、米作りが盛んになって争いが起こるようになり、自分達の集落を守るためにこういった仕掛けを施したそうです。
弥生時代に稲作がはじまり栄養が安定することで人々の寿命も安定したわけですが、戦争や争い事がはじまってしまいました。
進歩すると争いが生まれてしまうのはしょうがないことなのでしょうか。
野生の鹿が現れました。大自然ならではの光景です。
※作り物の鹿です。
野生の猪の群れが現れました。大自然ならではの光景です。
※作り物の猪です。
最初に出迎えてくれるのは、下戸と呼ばれる一般の人々が住んでた区域です。
子どもの頃に習った竪穴住居や高床倉庫を見ることが出来ます。
下戸から少し進むと南内郭と呼ばれる王族の居住空間が現れます。
こちらが王の家です。立派ですね。
こちらは王の妻の家です。
別居中でしょうか、中を覗いてみます。
妻はひとりさみしそうに機織りをしていました。
こちらは王の娘夫婦の家です。中を覗いてみましょう。
母親が王と別居状態なのに娘と婿は呑気に笑顔で談話していました。
そんな人間ドラマの繰り広げられる南内郭では弥生人による体験型アトラクションも楽しめるので是非とも立ち寄ってみてください。
王様の住むところは整地されていますが、一般の人々は草原の中に住居を構えていたのですね。
さらに奥へと進むと北内郭と呼ばれるまつりごとが行われる場所があります。
ここは吉野ヶ里遺跡で最も重要で神聖な場所だったそうです。
大きな祭殿ではなにが行われているのでしょう。覗いてみましょう。
巫女が祖霊からお告げを授かるための儀式をしていました。
このお告げを王に伝えて、稲作の時期などを決めていたそうです。
巫女の部屋の中です。
他の住居とは違いプライバシーが守られるホテルのような部屋でした。
そして、最深部には北墳丘墓という古墳があります。
ここには歴代の王が埋葬されており、14基の甕棺が出土されています。
元々は工業団地計画が進められていた場所だったそうですが、墳丘墓が見つかったことにより整備されて国営公園となりました。
この建物にある甕棺はすべて本物で特殊な施設の中で保存されています。
一つ一つ手作業でバラバラになっていた甕棺をつなぎ合わせて再現するのは相当な苦労です。
ここには佐賀の人々の熱い想いが詰まっているように感じました。
吉野ヶ里遺跡を堪能したところで、弥生時代から現代へと帰ってきましょう。
佐賀駅に到着しました。帰ってくる時代を間違えたようです。
冗談です。すみませんでした。
駅前を歩いてみたのですが、大好きな商店街すらなく正直がっかりしました…
佐賀じゃなくて佐賀駅にはなにもないというのが正しい気がします。
なぜか佐賀には謎の銅像が多い気がするのは気のせいでしょうか。
結論、佐賀には邪馬台国(仮)があった!という結果になりました。
まだまだ探したりない佐賀の良さ、明日は呼子へと足を伸ばして探しに行ってきます。
本日のまとめ
博多 ⇒ 吉野ヶ里公園 ⇒ 佐賀 ⇒ 唐津
移動距離 118km
歩いた歩数 16525歩
使ったお金 11,718円