線路が北海道から鹿児島まで途切れずに繋がっていたことに感動した五十四日目。
鹿児島から南下して、砂蒸し風呂で有名な指宿を訪れました。
屋久島へ渡る前に砂に蒸されて老廃物を出して、きれいサッパリとした身体で縄文杉に会いにいこうとの狙いでございます。
前半はおちゃらけですが、後半少し真面目な内容になっていますのでご了承ください。
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砂に蒸されて 指宿砂むし会館

この日予定ではJRの南の一番端っこの駅である枕崎駅に行くはずでした。
北海道の稚内から線路が途切れずに鹿児島まで続いているなんてロマンがありますからね。
しかし、電車を逃してそのロマンを味わえず…しょぼぼーん。
代わりに宿泊地であった日本最南端の有人駅である山川駅を堪能(?)しました。
九州の南側、カニの爪みたくなっている左側の部分には砂蒸し風呂で有名な指宿という街があります。
私たちが鹿児島を南下してきたのも、砂に埋まって蒸されるためにここまで来ました。
本日の蒸し会場はこちらの砂むし会館でございます。
東シナ海に面した海を見渡せる砂浜からはモクモクと蒸された砂の煙が立ち込めていました。
晴れた日には砂浜に埋もれて砂蒸し風呂を味わえるそうです。
この日はあいにくの雨予報で隣にある砂蒸し特設ステージにて蒸されに行きます。
決して顔だけ人間にされたわけではなく、砂に埋められて恍惚の表情をしている私です。
砂の中の体感温度はかなり暑く、岩盤浴よりも汗だくだくになります。
こんな気持ち悪い顔をしている私にも関わらず、一切表情を変えず冷静に写真を撮ってくれた若いお兄さんには感謝してもしきれません。
砂むし会館で一汗かいた後は、バスで知覧特攻平和会館を訪れました。
平和を願う想い 知覧特攻平和会館
太平洋戦争下の昭和20年、陸軍による沖縄での航空特攻作戦がはじまりました。
敵の戦艦に飛行機ごと体当たりする作戦はパイロットが必ず死ぬことを意味します。
特攻隊員達は爆弾を抱えた飛行機に乗り込み出撃、この作戦により1036名の方々が亡くなりました。
知覧特攻平和会館の中では、実際に特攻隊だった人の写真や遺書等を見ることができます。
特攻隊の人は20代の若者が多く、中には10代の若者もいました。
なぜ「お国のために」死ぬことが名誉なのか?そんな軽はずみな疑問を私は抱いていました。
しかし、特攻に出た彼らは国のために命を張ったわけではなく、家族や仲間、そして人のために早く戦争を終わらせるために飛び立ったのだとここで学びました。
家族のために人のために自分の命を懸けた勇敢な若者達の犠牲の上に、私たちは生きています。
特攻の前夜、隊員の方々は最後の盃を交わした後ここで各々の想いを抱えて一夜を過ごしたそうです。
彼らが命を懸けて守ってくれた日本で、私は人のためになにができるのだろうか。
その答えは簡単には出ません。
戦争が終わった時代に生まれた私たちは戦争を知りません。
それでも戦争が残したものを目で見て、耳で聞いて、心で感じて、先人たちが残してくれた想いを自分なりに後世に伝えていくことで平和な世界に繋がるのではないだろうか。
そんなことを考えながら過ごした一日でした。
本日のまとめ
鹿児島 ⇒ 指宿 ⇒ 知覧
歩いた歩数 13747歩
使ったお金 14,011円