福島、久ノ浜~南相馬をおさんぽ

 

西日本を回り終えて約三週間が経ちました。

「自分と向き合い、自分の生きる国と向き合う」という漠然とした理由で出た旅。

答えなんて出るはずもなく、悶々とする日々。

しかし、たしかに胸に芽生えた想いと共に再び旅に出ます。

『東北編 青春の18才を取り戻すひとり旅、テントを添えて』

スタートします!!!


 

ということではじまった日本一周の旅 東北編。

今回は日程の縛りがあるため、青春18きっぷを使って列車で東北を回ります。東北第一弾、まずは福島県。

正直な所、どんな気持ちで行けばいいのか、見たいという気持ちだけで被災地を訪れていいものかと悩みました。それでも自分の目で見たいという気持ちが抑えきれませんでした。

福島県のいわきー久ノ浜ー南相馬を列車と徒歩で回ります。

 

 

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福島 南相馬の一本松を目指して


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人生初の青春18きっぷを使い、鈍行の電車に乗ること約4時間。福島県のいわき市へとやってまいりました。

青春18きっぷを使ったことのない人に説明しておくと『全国のJR線の普通列車が1回あたり2,370円で1日乗り放題』の切符です。注意点としては利用期間が限られること、一枚では購入できず5枚つづりで11,850円での購入しか出来ないことですかね。簡単に言うと『時間がたっぷりとある奴には無敵の切符』です。

今回は青春18きっぷを利用して、福島県の海沿いを進みます。

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いわき市からさらに電車に乗って久ノ浜駅にやってきました。

久ノ浜はいわき市の北に位置する漁港もある小さな港町です。東日本大震災の津波により、町は壊滅的な被害を受けた町でもあります。駅や線路も大きな被害を受けて震災からしばらくの間、電車は運休していました。

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町に着くと辺り一帯が工事中でした。海岸沿いは防波堤と護岸を整備していて、陸地では除染作業。新しい家も建ってきており、少しずつではありますが町が再生している印象を受けました。

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しかし4年の歳月が経過してこの状態、ニュースから報道は消え去っても復興の道のりは長く厳しい道が続いているように感じました。

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神社オタクの私は道の途中にあった諏訪神社をお参りすることにしました。すると中から神社の神主のおかみさんが出てきて社務所に上がらしてもらいました。そこで震災時の写真やお話を聞くことができました。

津波が瓦礫の波となって襲ってきたこと、火災があったこと、まさかこんな大きな津波がくるなんて想像もしていなかったこと、車が海水に浸かって動かなくなったこと、震災後たくさんのボランティアが来てくれたこと、何度も足を運んでくれる人がいること、原発の作業中に亡くなった人がいること、いわきに残る人が多いこと、動物たちも被害者なこと、みんな震災で大きなストレスがたまっていること、想像以上に復興のスピードが遅いこと、人の数だけそれぞれの3.11があったこと、時間の許す限りとにかくたくさん話しました。

中でも印象に残ったことが、娘さんが「お母さん、私、恋愛できるかな」と心配していたときは親として悲しかったという話でした。原発による風評被害で『原発の被災者とは結婚しないほうがいい』と言ったような心無い言葉もあったりしたそうです。放射能の見えない被害は身体だけでなく、心にも大きな被害をもたらしています。

話をしているとき、正直なにを聞いていいのかわからず戸惑いもありました。それでもおかみさんはやさしく当時のことを話してくれました。そして、「きてくれるだけでありがたいことだからむずかしく考えないで」と言ってくれました。震災の話を聞いた後、私の人生相談まで聞いてくれてさらには差し入れまでいただき、逆に元気をもらってしまいました。少しでもここでもらったものを返せるようにまた来ようと心に誓って神社を後にしました。

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復興に向けて周りが出来ることってなんだろうか。

金銭的な支援やボランティアなど様々な形があるかもしれません。しかし、ひとりひとりが出来る簡単なことってもっとあると思います。

被害にあった辛い気持ちはどう理解しようとしても被害にあった人にしかわかりません。私たちは現地に行ったりすることで少しでも話を聞いて周りに伝えていくこと。そして、もしもの震災に備えて被害を最小に抑えること。もちろん被害にあった人のためになにかしてあげることも大事なのかもしれないけど、震災から学び、次の天災に備えて準備をすることが被害を受けていない人間の最低限の使命なのではないでしょうか。

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夜はいわき駅から江田駅に行き、駅の目の前にある夏井川渓谷キャンプ場という無料のキャンプ場に宿泊しました。

この日はなんちゃら流星群の日らしく、夜空には満天の星空といくつもの流れ星が流れていました。コンビニで買ったビーフシチューと発泡酒で星を見ながら遅いディナーです。

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テントも住めば都です。

なんと言っても無料で宿泊出来ておいしい空気の中寝れる、さらには天然のプラネタリウムまで鑑賞できちゃう。こんな贅沢お金を払ってもなかなか出来ません。


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二日目はいわき駅から竜田駅へと移動して、そこからJR代行バスで原ノ町(南相馬)へ向かいます。代行バスは上りも下りも一日朝夜二本のみの運行ですが青春18きっぷも使うことが出来ます。海沿いの電車が再開してない地域はこ代行バスが走っている場合が多いです。

竜田駅のある楢葉町は、福島第一原発事故の影響で町の大部分が警戒区域に指定され、立ち入りが出来なくなっていました。私が訪れた時期は避難指示解除の準備期間で町にほとんど人はいませんでした。2015年9月には避難指示が解除されたようです。

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駅には線量計が置いてあり、常に放射線量を測定していました。

福島の他の駅にも線量計が置いてあって、原発に近づくと数値が上がっていくので被害のない数値だとわかっていても見えない恐怖がありました。

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生活感の残された誰もいない町には静けさが広がっていました。頻繁に通るトラックが何とも言えない雰囲気を作り出していました。

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津波の被害はないのに放射線という見えない被害のせいで故郷に帰れない気持ちは計り知れないものがあると思います。

みなさんは突然、家に帰れなくなったらどうしますか?

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学校も立ち入り禁止になっていました。子どもたちが戻ってきて校庭で遊べるようになる日が一日も早く来ることを願います。

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町の奥には『ここなら商店街』という名の共同の仮設店舗を出店していました。そば屋や食堂、スーパーが並び避難所の人や工事の人が利用していました。

こうゆう光景を見ているとやっぱり商店街っていいなと思います。いざというときの団結力が違う。たしかに経営は厳しいんだろうけども全国の商店街がもっと活気が出てくると地方は元気になると思うんだけどな。大規模チェーン店に負けずにシャッターも心も開いて商店街には頑張ってほしいと応援しています。

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竜田駅からバスに乗り込んで原ノ町へ向かいます。途中には帰還困難区域や福島原発が見える道を走っていきます。

除染のために削り取った土が入った袋があちこちに積まれています。

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整備された土地。ここも津波の被害があったのだろうか。

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地震の影響か崩れた家も点々とありました。

バスには帰宅困難区域になってしまった双葉町に住んでいたおばあちゃんも乗っていました。車でしか入れないから時々このバスに乗って故郷の様子を見ているんだそう。福島から帰ってきて双葉町を追った『フタバから遠く離れて』というドキュメンタリー映画を見たのですが、少しでも原発事故のことを知りたいと思っている人は是非とも見てほしい作品です。

原発の問題は深すぎてここに言葉にするのは難しいけど発電所で働く親父を持つ人間として他人事でない問題でした。そんな親父がある日、「原発は絶対にだめだ」とつぶやきました。その一言の重みになにも言葉を返せなかったんですが、妙にその言葉が頭に響いていました。結局、原発が生み出すものなんて金と放射能だけなんだと思います。電気は他の手段でも生み出せます。津波は自然が起こした天災だけど、原発事故は発電所を作り出してしまったのは人間なのだから間違いなく人災なんだと思います。

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国道6号線を進み、双葉町・大熊町・浪江町等の町を通って約二時間、原ノ町駅まで辿り着きました。

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駅前には相馬野馬追像が立っています。相馬では馬追が有名で、起源は平将門が野生馬を放して敵兵に見立てて軍事訓練をした事に始まると言われています。

毎年7月に相馬野馬追の祭りが開かれて盛り上がりを見せます。

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震災の日から動かなくなった列車が線路に止まっていました。

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原ノ町周辺をぶらり、道の駅南相馬へやってきました。

ここで買ったなみえ焼きそばがもちもち太麺でおいしかったです。店内でも500円くらいで食べることが出来ます。

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駅の裏側は公園になっていて子どもたちが元気に遊んでいました。この花時計は無線塔が建っていた跡地に建てられています。

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原ノ町周辺は一見震災の被害も少ないように見えましたが、至る所で除染作業が行われていました。

やっぱり自分の目で見ないと知れないことがたくさんあるなと感じます。

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原ノ町駅からJRに乗って鹿島駅へとやってきました。

この地区も津波の被害がひどい地域でした。町には数万本の松の木があってシンボルのような存在となっていましたが、津波によってほとんどが倒壊してしまったそうです。その過酷な状況の中で一本だけ奇跡的に生き残った松があり、それを地域の希望のシンボルとして残す活動が行われています。

強く生き残った奇跡の松を見るべく、鹿島駅からひたすら歩きました。

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「未来へ進め!仲間とともに」

子どもたちの明るい未来のために、私たちも未来に向けて必死に生きていかなければなりませんね。

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一本松へは鹿島駅から車で15分、歩くと一時間かかります。

なにもない道をひたすら歩いていきます。

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道の途中には、津波の被害を受けた神社が残っていました。

お地蔵さんが二体見守っていて、たくさんの千羽鶴が置いてありました。

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川岸も全部整地されてこれから堤防が造られるようです。

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所々にぽつぽつと家が建っていたのですが、ここに活気が戻ってくるには相当の時間を要することを歩きながら感じました。土壌の除染や畑の除染の計画を見ると途方もないくらい時間のかかる作業に感じます。

私たちが得ていた大量の電気の代償に失ったものは計り知れません。しかも電気を得ていたのは東京の人なのに原発事故の被害にあったのは福島の人。この事実は深く受け止めなければならない問題だと思います。

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海沿いの場所は土が盛り上げられており、防波堤の工事などが絶え間なく行われていました。

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右田地区の未来と称して、海岸に造る堤防の計画とソーラー発電の計画が記されていました。

完成予定は平成30年、出来上がったらまた訪れたいですね。

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歩き続けること一時間、南相馬かしまの『奇跡の一本松』がある場所に到着しました。

「平成23年3月11日の大津波に、

耐えた松がある。

大地に根っこを張り巡らし、

生き抜こうとしている。

この松を地域のシンボルとしたい。」

と書かれていました。一本松の根が腐らないように一本松を守る会の人々が必死に手入れをしています。この松は多くの人たちに勇気を与えてくれたのでしょう。

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地面に座って一本松をしばらく眺めていました。

私は地震が起きたとき東京の秋葉原にいました。携帯電話もなかなか繋がらず途方に暮れてコンビニに設置されているテレビでニュースを見ていました。そこに映る信じられない光景は今でも忘れることができません。こんなことが起きているのに仕事のために待機して、解放されたのは夕方頃。電車も動かず秋葉原から人でごった返す東京の街を歩いて帰りました。直接大きな被害は受けていないけれど震災以降、様々な考えさせられることが起きました。久ノ浜のおかみさんが言っていたようにそれぞれの3.11が全国各地であったんだと思います。

震災以降、社会でも身近でも様々な問題が浮き彫りになった気がします。これから私たちに出来ることは明るい未来を信じて、ひとりひとりが考えて未来を作っていくこと、それに尽きるのではないでしょうか。近い将来、世界が大きく動いていく気がしてなりません。しかし、なにが起こっても自分自身がしっかりと自分の考えを持って他人のことも思いやって生きていくことが明るい未来への道に繋がっていくと信じていきたいです。

私の人生の長い旅もまだまだはじまったばかりです。